歴史

日本史の教育が、明治維新を引き起こした。歴史教育のパワー

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歴史を学ぶ意義を考察する連載の第二段。第一弾はこちら。

歴史は壮大な社会の実験室である

第二弾では歴史教育が持つインパクトについて、事例を挙げながら検討していく。実は日本の近代を作った明治維新は、歴史教育によって引き起こされたと言える。

江戸時代には、通史がなかった

 明治維新という日本史上の大爆発は、1853年の黒船来航が火種になって起きた事件だと思われている。しかし、いかに火種が大きくとも、そもそも火薬が湿っていては大爆発は起こらない。大爆発が起こるには、火薬が十分に乾いている必要がある。湿った火薬を乾かし、引火しやすい状況をつくったのが、歴史という学問だったのだ。

 江戸時代の中期ごろまで、日本には通史というものがなかった。通史とは、ある国や地域の歴史を時代順に追って書き記した歴史書のことだ。中国には通史がいくつか存在し、代表的なものでは、先に挙げた司馬遷の『史記』や司馬光の『資治通鑑』などがある。しかし日本には長らく通史が存在しなかった。江戸期の人たちの多くは、江戸時代以前の日本がどのような歴史をたどってきたのかを詳しく知ることができなかったのだ。

 

徳川幕府が絶対的でないことを知る

 しかし江戸後期になると、人々はようやく江戸期以前の歴史を詳しく知るようになった。歴史家・頼山陽が『日本外史』を著すと、広く一般大衆に読まれ人気を博した。また水戸藩の徳川光圀は『大日本史』の編纂事業を開始し、古代以来の日本の歴史をひとつの通史にまとめようとした。水戸藩は江戸期における歴史研究機関のようになった。

 これらの歴史書に影響され、江戸期の人々はあることに気付いた。徳川幕府による統治が唯一絶対の政治体制ではないということだ。奈良朝以降の日本においては、天皇が政治の中心に位置していた。平安の末期になってからは政治権力が次第に武士に移っていったが、平清盛も源頼朝も、天皇に政権を委託されて世を治めているだけであり、あくまで国の中心は天皇にあった。こうした歴史認識が広まるにつれて、同様に徳川家も天皇によって征夷大将軍に任じられ、政権を託されているだけのいわば「仮政権」であり、日本国の真の君主は天皇であると考えられるようになった。この「王(天皇)を尊べ」という考え方は「尊王思想」と呼ばれ、頼山陽の『日本外史』や水戸学派の研究活動によって広く世間に流布し、この当時の読書階級にとってのごく一般的な社会通念にまでなった。この徳川政権が絶対ではないという考え方がなければ、幕末維新の歴史劇もなかっただろう。人々が歴史を知り「国の中心は将軍ではなく天皇だ」という考えが広まったからこそ、黒船来航によって世の中が混乱に陥ったときに、幕府を倒して天皇中心の新しい国家をつくることで混乱を乗り切ろうという発想が生まれたのだ。このように、歴史という学問はときに世の中をひっくり返してしまうほどに強い影響力を持つ。

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